#TFC卒業経験談 #次の成功者・皆様へ
「愛のために海を越えて、日本在住のママが新しい命を迎える」
「愛のために海を越えて──何彦秉(ホ エンビン)医師の寄り添いで、日本在住のママが新しい命を迎える」
かわいい赤ちゃんを授かるため、李さんは日本から一人で台湾に渡り、治療を受けました。TFC台北生殖医療センターでは、副院長の何彦秉(ホ エンビン)医師が、高精度かつ繊細な医療技術と温かいケアで、彼女の夢への一歩一歩に寄り添い、幸せな結実を迎えました。
#子どもいてこそ、私たちの理想の家族図が円満になれる
李さんは夫と長年日本で生活しており、お互い一人っ子で、自分たちの子どもを持つことを心から願っていました。
「私たちにとって、子どもは一つの家族に欠かせない存在であり、生活により多くの愛と喜びを与えてくれるものだと考えています。」
結婚して何年も経っても妊娠せず、日本で不妊治療を受け、体外受精にも挑戦しましたが、何度試みても成功しませんでした。現地の医師からも「日本の生殖医療は、まだ技術や資源が十分ではない」と率直に言われ、成功率がより高い台湾やアメリカでの治療を勧められました。
地理的な距離や文化的な背景を考慮し、私たちは最終的に”台湾で治療をうける”にしました。
#何先生とは、プロ・優しくて安心させられる存在
主治医はTFC副院長の何彦秉医師であることを話したら、李さんは止まらずに色々教えてくれました。
「何先生の診察室に入るたびに、何先生はいつも笑顔で迎えてくださり、すぐリラックスになり、とても安心できました。
医術に優れているだけでなく、私の体の状態や薬の調整にも細やかな気配りをしてくださり、毎回の細かい変化までしっかり覚えていてくれました。
特に印象に残っているのは、経膣超音波の診察です。日本の医師のように冷たく扱うのではなく、何先生は患者の気持ちに寄り添ってくださり、遠くから来た私でも心から大切にされていると感じました。」
#どんなに辛くてもあきらめなかった。赤ちゃんはきっと来てくれると信じていた
最後の一言をお願いしたら、李さんはまた以下の長い内容を答えてくれました。
体外受精の治療は本当に大変でした。特に注射などがとても苦手で、あの期間はまさに試練の連続でした。
妊娠判定の結果を待っていたあの日、普段は携帯電話の使用が禁止されている職場にもかかわらず、夫がこっそり携帯で「どうだった?」と聞いてきました。
妊娠成功と伝えると、彼はすぐに「本当にこの子が来てくれるのを楽しみにしていたよ!」と返してくれました。
初めてエコーで赤ちゃんの小さな手足を見た時、これまでの苦労や涙がすべて報われたと感じました。
皆様!どうかあきらめないでください。きっと一番良いタイミングで、子供が自分のもととに来てくれると信じてください。
#TFC卒業経験談 #国際医療 #何彦秉医師 #日本から台湾へIVF #台湾体外受精 #IVF成功体験
#TFC体験談 #次の成功者へ
「妊活11年。プリンス・オブ・ウェールズ病院で泣き崩れた日もありました…
この十数年、どれだけの涙を流したか自分も分かりません。」
今年39歳のVeraさんには、ようやく人生で最も大切な第一子がきてくれました。
それは単なる妊活のゴールではなく、病気との闘いと希望の再生の物語でもあります。
若くしてガンを患い、妊孕性・生殖力が守れず
19歳のとき、急性白血病の末期と診断され、すぐ大量投与の抗がん化学療法をうけてしまいました。病魔に打ち勝つことはできましたが、副作用で早発卵巣不全になり、自然妊娠はほぼ不可能に。当時は「卵子凍結」や「生殖力温存」の概念も浸透しておらず、選択肢も限られていました。
何年待っても、夢は叶えられず
2013年から、香港の公立病院でIUI(人工授精)などを試みましたが、うまくいかず…。そして2014年、夫もガンを発症。治療は成功したものの、生殖治療は5年のガン経過観察期間を待つように言われました。
5年後、再び病院へ行った彼らに告げられたのは「また最初(IUI)からやり直し」。貴重な時間がただ、流れていくばかりでした。
台湾へ…その決断がすべてを変えた
香港では、生殖補助医療の選択肢が少なく、公立・私立病院を問わず、治療には長い待機時間が必要です。一回の治療費も6万〜8万香港ドルと高額であり、治療方針も保守的で、一度に移植できる胚は1個のみと制限されています。
そのため、成功率はあまり理想的とは言えません。
ある日、ネットでTFC台北生殖医療センターと曾啓瑞(ソウ・ケイズイ)医師の紹介記事を目にし、曾医師が国際的に優れた実績と豊富な臨床経験を持っていることに感銘を受け、ついに台湾へ飛んで挑戦する決意を固めました。
「不妊治療って、こんなにも温かいものなんだ」
「香港の病院は治療する場所という冷たさしか感じませんましたが、
TFCでは”初めて自分のこと、ちゃんと受け止めてもらった”」と、彼女の第一印象。
ぬくもりのある木目調のインテリア、やわらかな照明、そして心のこもった対応でした。それは、彼女の中にあった「生殖医療センター=無機質で冷たい場所」という固定観念を覆してくれたのです。
”なぜ、子どもが持てないと思うの?”
曾医師が最初にかけたこの一言が、彼女の心を一気に解きほぐしました。
香港の病院では「あなたには妊娠は無理」と言われ、養子の資料を手渡されたことも。けれど、TFCでは、自分の痛みを深く理解してくれ、そして共に頑張って行く人々と出会った!
一回の手術後、曾医師がすでに回復室を出たのに、わざわざ戻ってきて、
「どうか、赤ちゃんが来ますように。」と呟いてくれました。
その瞬間、彼女は涙が止まりませんでした。
3回の採卵、1回の移植。そして待望の赤ちゃん
治療は決して簡単ではありませんでした。3回の採卵、精神的な不安もありましたが、「曾医師は常に優しく、焦らせるようなことは一度もなかった」と語ります。最新の第4世代IVF技術を用い、1回の胚移植で妊娠成功。
2024年9月、無事に元気な赤ちゃんを出産しました。
Veraさんからのメッセージ
「自己否定、あきらめたい日が何度もありましたが、
TFCで、”優しさに包まれる治療”を経験したんです。」
「ただの番号ではなく、名前を呼ばれた時、超音波の後に体調を気遣ってくれる医師。“私”として扱われたと感じられ、採卵後には温かい食事があって、看護師さんが自然と手を差し伸べてくれる。小さな気遣いに、心が救われました。」
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”残念ながら”、あなたのAMH値は低いですよ。凍結卵子を考えているなら、時間がありません。すぐに行動を起こすべきです。”
電話でのこの一言が、私の人生のターニングポイントになりました。
オーストラリアで20年以上暮らす香港出身。はっきりとした計画がなくても、凍卵はずっと「やるべきリスト」の上位にあり、未来に備えておくべきだと自分で決めていました。
ところが、そのAMHの数値を目の当たりにした時、予定していたゆったりとした計画は崩れ去り、「待っていられない」という現実に直面させられたという気持ちでした。電話に出たその瞬間、自分の人生を真剣に考え直し、信頼できる医療チームを探し始めたのです。
しかしオーストラリアでの初めての凍卵体験は、私の期待とは大きくかけ離れていました。
ほとんどサポートは得られないうえに、連絡のつかない相談窓口ばかり。手術後に医師からかけられた冷たい言葉は、「少なくとも何個か採れたのは運が良かっただけ。次に備えなさい」という。一人で診察室を後にし、これまでにない孤独と無力感に苛まれました。
でも、そこで諦めるなんて私にはできませんでした!
自分のために、もう一度チャレンジする決意を固め、今回は台湾のTFC台北生殖センターを選びました。
正直に言うと、台湾は唯一の選択肢ではありませんでした。
しかし医療の質、コスパ、地理的アクセスを総合的に考えた結果、TFCを信じてみようと思いました。
この決断が私の人生に新たな光をもたらしました!
連絡から手術まで、全てがストレスフリーという全然違う体験でした。台湾に到着すると、スケジュールは整理され、手続きは明確で、迷いや孤立を感じることはありませんでした。
専任の海外患者サポート(国際医療)チームは、言語や交通、私生活の細かなニーズまで配慮してくれました。
そしてTFC小幫手アプリのおかげで、検査や診察結果の確認のすべてが一元管理され、手続きもスムーズ。オーストラリアでの煩雑さとは雲泥の差でした。
術後のフォローも手厚く、看護師さんたちは心身の状態を常に気にかけてくれます。好きな食事を選べるサービスもあり、身体も心も癒される時間でした。
最も驚いたのは、AMH値は変わっていないのに、台湾での採卵数はオーストラリアの3倍以上。しかも2回の手術の間隔はわずか2か月という短さでした。
もし今、同じように悩んでいるなら。どうか諦めないでください。時間を無駄にしないでください。
自分にチャンスを与え、信頼できる場所、信頼できるチームを選んでください。きっと違う未来が待っています。
皆様への一言❣
ありがとう、TFC。そして李怡萱医師!
この経験を通じて、再び自分を信じられるようになり、まるで久しぶりのあたたかいぬくもりを感じました。これは私の心と体が本当に帰るべき場所を見つけた旅でした。
#TFC妊活ストーリー #AMH #凍結卵子 #オーストラリアでの苦い採卵経験 #台湾の医療 #TFC小幫手 #CompareAndDespair #李怡萱主任医師
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2019年、もうすぐ40歳の朱さんは、長い妊活の旅をスタートしました。
天津からアメリカまで、試験管ベビーの治療を9回経験。天津での7〜8回のトライでは、医師から「朱さんは...この人生で子どもに恵まれないかもしれない」とはっきり告げられました。でも、諦めるなんてできませんでした。
アメリカに渡ってからも2回の治療に挑みましたが、結果は同じく得られず、心身ともに限界を感じていた時です。偶然アメリカで知り合った「胡医師ファン」の友人の紹介で、TFC台北生殖センターの胡玉銘医師に出会うことができました。
この運命の出会いが、人生に新しい章を書いてくれたのです。
胡医師の丁寧な診断とサポートのもと、半年間の治療に挑戦。卵巣機能は決して良くない中、精密なホルモン調整で6つの卵子を採取。初めての移植で3つの胚胎を入れた結果、一度に双子を授かることに成功しました。
「できない」と言われていた私の物語に、ついに希望の光が差し込みました。
妊娠中は妊娠高血圧症候群や早産のリスクがあったため、産科医の勧めで台湾にとどまり、安心して出産に備えました。2020年4月末、元気な男女の双子を無事に出産し、二児の母になりました。
しかし、そこから新たな試練もありました。COVID-19の感染拡大で、朱さんの母と夫は入国できず遠くからしか支えられない。強く一人でこの状況を乗り越え、新生児2人を連れて天津に戻る決意をしました。
この長い旅路は、不確実なことだらけでもありましたが、温かな人々との繋がりも感じられました。胡医師はすぐに動いて助けを求め、エヴァ(EVA長栄)航空の親切なスタッフがずっとそばでサポートしてくれました。通関から荷物受取まで、すべてがスムーズに進み、無事に家族の元へ帰ることができました。
万里の道を越えたこの妊活の旅は、辛くも愛と希望に満ちています。
これから頑張るあなたにも、心からの祝福を。そして必ず、自分だけの幸せにたどり着くことを願っています
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「韓国から台湾へ──パク(朴)さんが王瑞生医師と歩んだ希望の道」
東京で出会い、恋に落ち、そして台湾で家庭を築いた林さんとパクさんの国境を越えたラブストーリーに、ついに新たな命が加わりました。
2018年に結婚した二人は、台湾での生活を選びました。パクさんは韓国出身で、エレガントな雰囲気を持つピラティスインストラクター。現在、台北でクラスを開きます。
最初は妊娠を急いではいませんでしたが、コロナ禍をきっかけに生活にゆとりができ、2021年から本格的に妊活を始めました。
「実は妻は自然妊娠したことがあるのですが、子宮外妊娠(異所性妊娠)で赤ちゃんを失ってしまい、心身ともに大きなショックを受けました。」林さんは当時を振り返ります。
ちょうどその頃、パクさんの友人がTFCでの卵子凍結し、彼女にTFCを勧めてくれたのです。 その出会いが、二人の人生を大きく変えるきっかけとなりました。
「最初、妻は僕に内緒でTFCに行ってたんですよ!」と林さんは笑って話します。 友人からの推薦と、目に見える成功例によって、パクさんはTFCの医療にすぐに信頼を寄せるようになったのです。
2022年の中頃から本格的に体外受精(IVF)の治療が始まり、 担当医は王瑞生副院長です。
「王先生はとても穏やかで親しみやすい方で、あとから知ったのですが、韓国系華僑だったんです。 毎回の診察で、先生が韓国語で直接話してくれるので、妻もとても安心していました。治療内容もきちんと理解できるのが良かったですね。」林さんはシェアしました。その上に、王医師は韓国語の専門資料も準備し、母国語が中国語ではないパクさんにとっては、スムーズで安心できる治療環境が整っていました。
2022年11月の初回の移植では、残念ながら妊娠には至りませんでしたが、王医師はすぐに薬の調整や排卵周期の見直したり、治療計画を変更したり、柔軟に対応しました。ご夫婦は医師への信頼とお互いの支え合いのもと、2023年4月に待望の妊娠を果たし、無事に妊娠でき、TFCを卒業することができました。
「妊活には本当に“平常心”が大事ですね。心と身体、両方がいい状態じゃないと、なかなかうまくいかないものです。」と林さんはしみじみ語ってくれました。
「奥さんのベストパートナーになるには、どうすればいいですか?」最後に尋ねましたが、 林さんは笑いながら、 「簡単ですよ!旦那さんたち、奥さんの言うことすべて聞いてあげよう!何も聞かずにクレジットカードを出せばOK!」答えてくれました。
専門医療チームの支えと、夫婦の絆と信頼があってこそ、韓国、日本から台湾へのこの旅路は、二人にとって何よりも温かく、そして力強い“希望の道”となりました。
#TFC体験談 #国際カップル #韓国人妻の妊活 #体外受精成功事例
#王瑞生医師 #言語サポートあり #子宮外妊娠を乗り越えて #台湾医療 #TFC台北生殖医療センター
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31年前、TFC台北生殖医療センターの創始者であり、「台湾体外受精の父」──曾啟瑞(ソウ・ケイズイ)教授は、「鍾さん」一家に新たな命を届けることに成功しました。
「鍾さん」の赤ちゃんは妊娠27週で早産となり、体重はわずか1100グラムでした。その後、保育器で93日間過ごし、何度も生死の境をさまよいました。今では100キロを超える立派な新郎となり、結婚という人生の新たなステージに立ちました。結婚式には曾啟瑞医師も招かれ、31年にわたる生命の奇跡を共に見届けました。
#35歳で不妊の壁に立ち向かう:体外受精から妊娠成功へ
当時35歳だった鍾さんは、結婚から11年、主人と一緒に仕事に打ち込んできましたが、やはり「母になる夢」を諦めきれませんでした。不妊の可能性を考え、友人の紹介で曾啟瑞医師の診察を受け、体外受精の道を歩み始めました。
1回目の胚移植は残念ながら失敗しましたが、「4回までチャレンジしてみよう!それでもダメなら世界一周旅行に行こう!」と夫婦で約束し、前向きな気持ちで挑みました。そうしたら、2回目の胚移植で妊娠に至り、4つの胚のうち2つが着床し、最終的に1人の赤ちゃんを授かることができました。
#危機の中の選択:24週で胎児が6cm出てしまう、保育器での93日間
妊娠中期も仕事に追われていた鍾さんは、身体のサインを見逃してしまいました。妊娠24週目に激しい子宮収縮が起き、胎児はすでに子宮口から6cm出ていたのです。緊急入院後、縫合手術で妊娠を維持しましたが、最終的に27週で帝王切開による早産となりました。
1100グラムで生まれた赤ちゃんは、体中に管を大量につけ、自力で食事を取ることすらできませんでした。医療チームは「生存の可能性は非常に低い」と伝えましたが、鍾さんは諦めませんでした。93日間の懸命な治療とケアの末、赤ちゃんは無事に退院し、自らの人生を歩み始めたのです。
# 鍾さんが学んだこと:イノチは子ども自身のもの、親としては手放すことを学ぶのみ
「親にできることは、そばにいて見守ることだけ」赤ちゃんが生まれた瞬間から、鍾さんは強く実感しました。
子どもの選択と成長のペースを尊重し、過干渉せずに、自由に人生を探求できるようサポートしました。今や彼は、自信に満ちた独立した大人となり、結婚して自身の人生を歩んでいます。
# 妊活中の皆様への一言
「人生には、努力しても報われないこともあります。
そのプレッシャーが前に進む力になるなら、どうか受け止めてください。
もしそれが苦しみを増やすだけなら、手放す勇気を持ってください。
自分自身、そして自分を愛する人をより大切にしましょう。
子どもを持つことが人生のすべてではありません。
どんな結果であれ、愛と勇気を持って歩んでいきましょう。」
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陳さんは30歳の時に赤ちゃんを授かることを決めてから、わずか3ヶ月で第一子を順調に妊娠できました。ところが、3年後に第二子を望んだ際には、2年経ってもなかなか妊娠できませんでした。
彼女は「その数年間でどんどん体調が悪くなり、生理のたびに腰の痛みがひどくて、月経前には熱も出るようになった」と語って、診察の際、超音波検査で「卵巣に影がある」と告げられました。
「TFCの張翊恩(チャン・イーエン)医師のお父様は、実は夫を取り上げてくれた産婦人科医なんだ。」
不思議なご縁で、陳さんの義母の紹介により、張医師のお父様と知り合い、さらに北医(台北医科大学附属病院)で張医師の診察を受けたことで、TFCとの出会いに繋がりました。
初診時の超音波検査で卵巣の影の正体は両側の「チョコレート嚢胞」と判明されました。さらに検査により、「子宮腺筋症」であることも分かり、妊娠しづらい原因が明らかになりました。
「私は不妊症とは無縁だと思っていたので、受け入れるまでに半年かかりましたが、その後、診断がはっきりなったことで、逆に自信を持って治療に取り組めるようになりました」と語ります。
私の努力の理由:家族
「私は兄弟姉妹が多い家庭で育ち、毎日がにぎやかで、お互いに助け合っていました。」 陳さんにとって第二子の出産には特別な意味があります。子どもたちに家族の温かさを与えたいという願いが、自身の理想の家庭像を描く原動力となりました。
治療中、一番大変だったのは心のケアー
「注射」や「膣剤の使用」、そしてさまざまな体の不調が妊活中の大敵でした。
「排卵誘発注射のたびに、深呼吸して自分を落ち着かせるんです。お腹のあざを見ると、なんで私だけこんな思いをしなきゃいけないのって、泣きたくなります。」
娘さんが注射中にぶつかってしまうことを心配して、部屋にこもって一人で注射を打っていた陳さんは孤独感を覚えることもありました。特に採卵前の“破卵注射”は5分以内に2本打ち終える必要があり、「緊張すると手が震えて、うまく刺せない」こともあったそうです。
移植後の注射と膣剤による治療もつらく、「ずっと体がだるくて、正直とても疲れていました」。 楽観的な性格で「なんとかなるさ」と思っていたものの、家族の何気ない言葉に、 「家事はこっち全部やってるよ、これ以上何が要求するのか?」「注射なんて簡単でしょ、なんでそんなに時間かかるの?」、傷つくこともありました。
治療中、本当に必要なのは、優しさと理解だったのです。
TFCで一度の治療で第二子を授かる
努力は報われるものです。TFCでの治療で、陳さんは一度の移植で第二子を妊娠。 「張先生と一緒にTFCに来られたことは、私にとってすごく安心できることでした。」と笑顔で話します。
以前の大学病院とは違い、TFCはシンプルなフローでスムーズに診察が受けられ、違う階の移動や長時間の待ち時間もなく、負担が大きく軽減されました。
「TFCの環境も大好きです。人混みもなく、ソファでゆっくり休めますし、専用アプリで次にどこに行くか、何をするか教えてくれてとても便利。」
快適な受診環境が、治療そのものに集中できる余裕を生み、心にも良い影響を与えました。
「診察のたびに張先生と看護師さんが温かい言葉をかけてくれて、体調が悪い時は親身になって話を聞いてくれたり、案を出してくれたりして、本当に支えられました。」
移植当日、看護師さんがリラックスできるようにおしゃべりしてくれたこと、
そして「頑張ってね!」と渡された “妊娠お守りキャンディ”——「ひとりじゃないんだ」と感じた瞬間でした。
この細やかな配慮と温もりが、彼女の心を支えました。
皆様への一言
「これから治療を始めるご夫婦に伝えたいのは、確かに簡単な道ではないけれど、医師を信じて、一歩ずつ進めば、そこまで怖くはありません。TFCでリラックスして治療に臨めたおかげで、一度で成功できて、本当にたくさんの苦しみを減らすことができました。心から感謝しています。」
#TFC体験談 #次の成功者へ #一度で成功 #チョコレート嚢胞 #子宮腺筋症 #高齢体外受精 #体外受精成功体験 #張翊恩医師
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「一度の成功から運命を変える、母に孫の顔を見せてくれた」
「張翊恩(チャン イエン)医師は私の人生、そして家族全体の人生を変えてくれました。」
40歳を超えた陳さんにとっては、この言葉は大げさではなく、長年の苦しみを乗り越えた心からの感謝の気持ちです。何年も子どもを授かることができずに苦しんだ彼女は、張翊恩医師の治療で、ついに妊娠に成功し赤ちゃんを出産できました。さらに膵臓癌を患う母親にも孫の顔を見せられ、もう一つの願いを叶えました。
#他院で何度も挫折、治療が何度も中断
過去に他院での治療では、陳さんは子宮ポリープと筋腫の問題で何度も移植スケジュールが延期されました。医師は着床リスクを心配し、何度も手術を勧めました。ポリープや筋腫の除去、術後の回復、どの過程も彼女にとって非常に辛いものでした。
「本来は3月に移植予定でしたが、ポリープの再発や筋腫の問題でまた半年も延期されてしまいました。」年齢と時間のプレッシャーの中、彼女が最も心配していたのは、病気の母親に自分の子供を見せる時間が間に合わないのかということでした。
#信頼できる始点に戻り、再スタート
繰り返す悩みの中で、陳さんは数年前に北医(台北医科大学付属病院)で診てもらった張翊恩医師のことを思い出しました。2024年5月、過去の治療資料を持ってTFCを訪れ、再び張医師を頼りました。
張医師はこれまでの検査報告を丁寧に読み込み、「もう一度最初からやり直してみませんか?」と尋ねました。
勇気を出し、信じることにしました。張医師より、新しい治療プランを立て、7個の卵子を取り、胚を培養し、PGS検査も経て、7月4日に移植を行い——1回で妊娠に成功しました!
#張医師は温かさと専門性を持ち、最も困難な道を共に歩み
陳さんは「張翊恩医師の診察室に入ると、落ち着いたペース、温かい態度や、毎回の診察内容をしっかり覚えていてくれることで、繰り返す待ち時間と挫折を経験した私には、それが大きな安心になりました。」と語ります。
二つの胚の移植を考えたこともありましたが、張医師が高齢妊娠や血圧、胎児へのリスクなどのことをより慎重に判断した方が良いとリマインドしました。妊娠成功できた後、実際に血圧と羊水の問題もあったので、張医師が成功率よりは安全にしたことにも感謝しています。
#変えてくれた人生だけでなく、それが家族全体の希望
陳さんは感慨深く「この子の誕生は、私の夢の実現だけでなく、母の人生最後の願いでもありました」と語ります。この幸せは家族みんなの共通の期待と変化です。
「年を重ねても、AMH値が低くても、あきらめないでください。早めに医師と相談し、決めた治療案に合わせ、一歩ずつ進めば成功は必ず来ます。」
#張翊恩医師 #高齢妊活 #子宮筋腫 #子宮ポリープ #膵臓癌家族
#一回の移植で成功 #PGS検査 #他院で何度も失敗 #妊活成功 #妊活体験談
#TFC卒業経験談 #次の成功者・皆様へ
「高齢・不妊・言葉の壁──すべてを乗り越えて、私がママになれた」
譚舜仁(タン シュンジン)医師とTFCチームの支えに、心から感謝しています。
結婚して1年、私は38歳から不妊治療を始めました。
将来への不安と焦りに押しつぶされそうな日々が、。それでも、「あきらめたくない」という想いが、心の奥底に灯っていました。1年半の努力の末、40歳でようやく、 ずっと夢見ていた”イノチ”に出会えたのです。
#希望を託して、TFCへの転院
最初は別の病院で人工授精を2回試みましたが、治療方針に納得がいかず……勇気を出して、TFC台北生殖医療センターに転院しました。
TFCでは、初回から以前の経験と異なり、丁寧な超音波検査、及び細やかな血液検査が行われ、私のAMH値が平均標準値よりも低いことが判明しました。
「時間がもうない!」と自分に言い聞かせ、すぐに体外受精(IVF)を決断。
ここで、初めて“本当の希望”を感じることができたのです。
#諦めなかった日々、ついに訪れた奇跡
採卵の後、いくつかの受精卵ができましたが……
PGS(着床前遺伝子スクリーニング)検査では染色体異常が発見。
「移植できない」と告げられたあの日は、本当に辛かった。
けれど、私たちは諦めませんでした。
5回目の採卵で、やっと正常な受精卵が1つ。
それはまさに、私たちに残された“たったひとつの希望”。
その小さなイノチを守るため、ERA検査で最適な移植タイミングを見極め、
全ての準備を整えて......やっと、私たちの奇跡が始まったのです。
#無駄のない治療、心強い選択
費用は決して安くはありません。
でも、TFCでの治療は「一つ一つに意味がある」ことを実感しました。
毎回のPGS検査によって、確かなステップで進められ、 無駄な時間や期待の空振りを避けることができました。「意味のある投資だった」と、今でもそう思えるのです。
#言葉の壁を越えて、支えてくれた人たち
日本人として中国語は苦手で、専門的な医療用語はなおさら難しく……壁のように理解しようと...... 何度も自信を失いそうになりました。
でも!
譚医師とTFCのスタッフの皆さんは、いつも寄り添い、 一つ一つの過程と詳細をゆっくり、丁寧に説明してくださいました。その温かさに、何度も心を救われました。 私は、”一人”じゃなかったのです。
最後に皆様の支えで、成功して涙まみれの”卒業証書”をもらいました!
#高齢出産の困難と、かけがえのない幸せ
40歳を超えての妊娠で、 妊娠高血圧にかかり、28週で早産という困難もありました。でも、あの小さなイノチは元気に育ってくれています。
笑うたび、声をあげるたび
私の心は、幸福と感謝で満たされるのです。
譚医師に出会えて本当によかった
初めてお会いした時から、譚医師の誠実さと確かな専門性に 私は安心と希望を感じていました。治療を通じて、医師であると同時に、 私たち家族にとって心の支えでもありました。
あの時、TFCを選んで本当によかった。
私の人生は、譚医師のおかげで新しい光に包まれました。
本当に、ありがとうございました。
このストーリーが、誰かの「次の希望」になりますように。
39歳で結婚し、すぐに不妊治療を始めましたが出産には至らず、44歳で台湾のTFCで卵子提供を受け、1回目の移植で妊娠し、45歳で出産しました。
自分の卵子での治療が限界になり、残りの人生を夫婦二人で生きていくことも考えましたが、悩みに悩んで、やはり子どもがいる方がいいという結論になり、卵子提供を受けることにしました。
日本の主治医から卵子提供の説明を受けた際、台湾での治療を勧められました。台湾は距離が近く、親日で、人種が近いというメリットがありますが、何より、政府が卵子提供の法整備をして情報を管理しているため、他の国のエージェントよりも信頼できました。ドナーさんを選ぶことはできませんが、年齢や健康状態などの条件をクリアしていないとドナーになれないとのことでしたので、安心していました。
台湾への渡航は、一回目は2泊3日で夫と二人で行き、手続きや私の検査、夫の精子凍結を行い、国の審査とPGT-Aの結果を受けて、二回目は7泊8日で私一人で行き、胚盤胞の移植をしました。二回目は渡航の予定が立てにくく、出国日は生理が来ないと決まらず、帰国日も台湾に行って子宮内膜の厚さを確認してからでないと移植の日が決まらないため、職場に仕事の調整を協力してもらいました。
TFCでは、最初の問い合わせのメールのやり取りから、国への申請のサポート、病院内での通訳、日本での治療のフォローなど、日本語ができる同じ担当の方が熱心にサポートしてくださり、何でも質問できたため、全体を通して不安になることがありませんでした。実際に訪れると、日本の“病院”の印象とは異なり、院内にカフェがあり、サロンのようなオシャレな空間に驚きました。そのリラックスできる空間で、曾先生をはじめ、他の先生方や看護師さんも、皆さん気さくに優しく接してくださいました。
ドナーさんが若い方であることや、PGT-Aで結果の良い胚盤胞を移植したため、妊娠中も赤ちゃんの経過を心配することはほとんどありませんでした。むしろ高齢の自分の卵子での妊娠の方が、成長や障害の有無を心配したかもしれません。
高齢出産でしたが、何も問題もなく丈夫な赤ちゃんを出産できました。目鼻立ちが整った美男子で、両親も今まで見た赤ちゃんの中で一番可愛いと言ってくれています。夫も可愛い赤ちゃんにメロメロです。
赤ちゃんがやってきて生活は一変し、赤ちゃん中心の生活になりました。毎日赤ちゃんの成長が楽しみです。思い切って卵子提供を受けて良かったです。曾先生と、サポートしてくださったTFCのスタッフの皆様にはとても感謝しています。
ありがとうございました!!
まず、最初は日本で不妊治療で有名なクリニックでお世話になりました。その後、台湾でいくつかのクリニックに通院いたしましたので、それらの個人的な体験をお話しさせていただきます。
比較のようになってしまい、お世話になったクリニックに申し訳ないのですが、結論から言うとすべての面で圧倒的に素晴らしかったのが、TFCです。
まずは最初に私が通院した日本のクリニックの方針はなるべく通常の妊娠に近い方が良いと言うことで、少しずつ科学の進歩を活用していくと言うことでした。
採卵などは麻酔を使わない方針なので、良いことだとは思ったのですが、毎度、激痛で涙が出ました。また、採卵や移植は、都度、医師が代わり、中には施術後に不必要に握手をして来る医師もいました。
自然に近い形での妊娠と言うことで、方針として素晴らしいのかもしれませんが、結果、失敗するリスクが高く、余計な痛み、無駄な時間とお金が浪費されるように感じました。そして、上手くいかない度に、科学の力を持ってしても妊娠は、かくも難しいものなのかと大きな絶望を感じました。
そこで、そのクリニックに通院を続けるのは、精神的にも経済的にも負担が大きかったので、当時、日本と台湾を行き来していたので、次は台湾のクリニックを活用することにしました。
台湾で最初にお世話になったクリニックはTFCではなかったのですが、なんとか三度目のトライで、第一子を授かる事ができました。
ただ、そのクリニックでは、診察台に乗り、両足を広げたままの状態で胸の触診がありました。
その際に、医師からプライベートな質問をされ続け、「答えないと、もっと痛くなるよ」と笑いながら言われ、さらに強い力で触診されました。
移植の際は、毎度、飛び上がる程痛かったです。
金額の内訳が欲しいとお願いすると、口頭で説明を受け、それを自分で記録しなければなりませんでした。領収書を催促しないともらえなかったりと、明瞭会計でないのが気になったりしました。
その後、友人から曾先生の事を聞き、TFCにて第二子の不妊治療を行う事にしました。
初めてTFCを訪れた時は、あまりの広さとホテルと見紛うほどの綺麗さに、「これはきっと、高過ぎて支払えない!」と思いましたが、台湾の他のクリニックと比べてもそこまで変わらない金額で驚きました。
しかも、驚くほどの最新設備が揃っています。
そして、初めて曾先生にお会いした時の印象は、“プロフェッショナル”。
曾先生は、とても研究熱心で知識が深いため、曾先生の判断力に対し信頼感を持つ事ができました。
また、TFCでは、目で見てわかる検査結果をアプリで共有してくれるので、今どんな状況なのかがわかりやすかったです。
おかげで、ただ、ただ前向きに進んでいく事ができ、結果、第二子も第三子も曾先生により、命を授かる事ができました。
他のクリニックで、もう何年も不妊治療を行なっているという方は、一度曾先生にお願いしてみても良いのでは?と思います。